なぜ人はモノをたくさん所有するのか?
私がモノをたくさん所有していたころ、特に収集していたのがCDだった。最終的に500枚ほど持っていた。
何故CDをそんなにも所有していたのか。
今回は、人がモノをたくさん所有してしまう理由を考えてみました。
所有する目的が変わっていった
最初は純粋に音楽が好きでCDを購入していた。好きな音楽を好きな時に聴きたかったからだ。
好きな音楽を聴いていると気分が良くなったり、高揚したり、落ち着いたり、感傷的になったりと、CDは自分にとっても穏やかな時間を過ごす事が出来るモノだった。
しかし、いつしか所有こと自体が目的が変わっていった。
音楽を聴いていると、好きなアーティストが出来てくる。その好きなアーティストの作品を揃えるために、デビュー作品から今まで発売されたCDを順番に購入していく。
なぜそんな事をしていたかと言うと、純粋に過去の作品を聴きたい気持ちもあったが、友達にその好きなアーティストを伝える手段のために収集していたと思う。
たまたま直近で発売された作品だけしか持っていないと、ミーハーと思われてしまうのではないか?と不安な気持ちがあったからだと思う。
音楽が一番の趣味になってくると、音楽好きを公言するために、私はさらにCDを購入することになる。
音楽好きなら持っていて当たり前の名盤や、本当は興味がなくても話題になっているジャンルや皆んなが知らないようなマイナーな作品など、たくさんのCDを収集していた。
音楽を聴くことよりも、収集すること自体の目的がどんどん大きくなっていた。
いつしか、自分の音楽好きを表現する手段として、CD500枚を持っている事を伝えていた。
でも実際には、その500枚のCDを満遍なく聴いていたわけでもなく、それぞれの作品について同じ熱量で語ることは出来ない。
1度聴いただけで棚の奥底に眠っている作品もたくさんあった。
そう、一部のCDは意味のない物体となり、500枚持っているという事実を作るためだけのモノになっていた。
モノが自分の一部と錯覚
当時の私はそのモノが音楽好きの自分を形成している体の一部と錯覚していたのだ。
今思えば滑稽に思う。
モノを持っているだけで、それが趣味になるのであれば、その500枚のCDを音楽好きでない人に譲った時その人はいきなり自分と同じくらい音楽好きな人間なるのだろうか。
なるわけない。そして私がミニマリストになり、3年ほど前にその500枚のCDを手放した。
しかし手放した瞬間自分の音楽に対する情熱は一緒に消えることはなかった。
経験は自分の一部になる
でもその当時のCDを収集している時間が全く無意味だったかと言うと、そうではないと思う。
今では当時聴いていた音楽をiTunesでデータとして保存していてスマホで聴いていてるが、それらは純粋に音楽を聴き始めたころの目的として活きている。
そう、好きな音楽を探していた経験や名曲に出会った時に感動した体験は自分の中にずっと残り続けているからだ。
モノと自分は別物だから、モノを手放しても自分の中にある熱量や知識、大切な経験や体験が消えるわけではない。
そしてそれらは自分が知っているだけでいい。
他人にどう見られたいかのためにそのモノを所有しているなら、自分にとっても、そのモノにとっても不幸な話だと思う。
モノ自体は自分とは別物だ。それに気づいた時、あなたのまわりに手放せるものはたくさんないだろうか。
*この記事は以前運営していたBlogを加筆・修正したものです。
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