こんにちは、calmspicesです。
気づけば、部屋にあふれるモノたち。
「なんでこんなに持ってるんだろう?」と思うことはありませんか?
私自身、かつてはCDを500枚も所有していました。
純粋に音楽が好きで集め始めたCD。でも、いつの間にか「所有すること」そのものが目的に変わっていたのです。
今回は、人がモノをたくさん所有してしまう理由と、その心理について考えてみました。
所有する目的が変わっていく
最初は純粋に「音楽を聴くため」にCDを購入していました。
- 好きな時に好きな音楽を聴くため
- 音楽を聴いて気分を高めたり、落ち着いたりするため
でも、次第に「所有すること」自体が目的へと変化していきました。
所有が自己表現の手段になった
好きなアーティストができると、デビュー作から最新作までコレクションしたくなる。
理由は2つ。
✅ 純粋に過去の作品を聴きたかった
✅ 「自分は本当にこのアーティストが好きなんだ」と友達に伝えたかった
「最新作しか持っていなかったら、ミーハーだと思われるかも…?」
そんな気持ちが、さらにCDを買い足す原動力になっていました。
音楽が一番の趣味になると、
- 「音楽好きなら持っていて当たり前の名盤」
- 「本当は興味がないのに、話題のジャンルだから買う」
- 「誰も知らないマイナーな作品を持っていることがカッコいい」
そんな風に、CDを収集すること自体が目的になっていきました。
もはや、音楽を聴くことよりも、「持っていることを証明するため」に買っていたのです。
所有=自分のアイデンティティ?
CDを増やし続けるうちに、「500枚持っていること」自体が自己表現の手段になっていました。
でも実際は、
- すべてのCDを聴き込んでいたわけではない
- 1度聴いただけで、棚の奥底に眠っているCDも多い
- 500枚のCDを持っていること自体が目的になっていた
「自分は音楽が好きだ」と言いたくて集めたCD。
でも、そのCDを誰かに譲ったとしても、その人は私と同じくらい音楽好きになるのでしょうか?
答えはNO。
「モノを持っていること」=「そのジャンルに詳しい」ではない。
このことに気づいた時、私はCD500枚を手放す決断をしました。
モノを手放しても、経験は消えない
CDを手放したからといって、音楽への情熱が消えることはありませんでした。
むしろ、今はiTunesにデータを保存し、スマホで気軽に音楽を楽しんでいます。
そして、気づいたことがあります。
📌 「モノは手放せても、経験は自分の中に残る」
好きな音楽を探していた時間、名曲に出会ったときの感動、それらの思い出はCDというモノがなくなっても消えません。
「モノを所有すること」と「そのモノにまつわる経験」は、別物。
他人の目を気にして所有していないか?
「このモノを持っていることで、自分のステータスが上がる」
「持っていないと、自分がそのジャンルに詳しくないと思われるかも」
そんな理由で所有しているモノがあれば、**そのモノは本当に必要なものなのか?と考えてみる価値があります。
モノを持つことが、自分のアイデンティティになってしまうと、手放すことが怖くなります。
でも、「モノを手放しても、自分の中にある経験や知識は消えない」。
ミニマリストとして気づいたこと
✅ モノは「自分の一部」ではない。
✅ 手放しても、本当に大切なものは消えない。
✅ 経験や知識は、モノがなくても自分の中に残り続ける。
もし、他人の目を気にして持っているモノがあるなら、それは自分にとっても、そのモノにとっても不幸なこと。
「モノ自体は自分とは別物だ」と気づいたとき、本当に必要なものだけを残す選択ができるようになる。
あなたの周りにも、手放せるものがたくさんあるかもしれません。
まとめ:モノを減らせば、本当に大切なものが見えてくる
✅ 所有する目的が「純粋な好き」から「持っていることの証明」に変わることがある
✅ 「所有=アイデンティティ」と思い込むと、手放すのが怖くなる
✅ でも、モノを手放しても、経験や思い出は自分の中に残る
「手放すことで、自由を手に入れる」
モノとの付き合い方を見直してみると、意外と「今すぐ手放せるモノ」が見つかるかもしれません。
*この記事は以前運営していたBlogを加筆・修正したものです。